気まぐれ日記 11年8月

11年7月はここ

8月1日(月)「賽は投げられた・・・の風さん」
 定例打ち合わせのため、T製作所へ直行。
 会議の前に某社へ電話して、今日午後の出張が確定した。
 会議の後に福島のケアセンターへ電話して、明日の介護休暇のための下準備をした。
 結局、定例打ち合わせはどうでもよかった……が、欠席した上司のために詳細なメモを書いて提出した。
 昼休みに英単語の暗記に挑戦。
 その後、予定通り出張。
 出張先では、用意周到に準備して待っていてくれたので、仕事が思いの外はかどった。
 介護休暇で使う切符も駅で購入して直帰。
 まだ時間的な余裕があったので、自宅に最も近いボウリング場に寄った。9月に職場のボウリング大会が予定されている。21世紀になって一度もボウリングをしていない。無様なことになりそうだった。今から練習して面目を保てるかどうか判断するため、小手調べをするのが目的だった。
 初めてのボウリング場だったが、設備的には満足できるものだった。そして、シニアのための格安パックがあったのもうれしかった。
 結果は、3ゲームで、117、117、160だった。足腰がよれよれで、とてもあと1ヶ月でまともな状態にはなれそうもなかった。職場の大会への出場はやめることにしたが、時間がとれたらまた来たいと思った。
 帰宅したところへ、申請していた学資ローン会社から確認の電話が入った。
 これで、入学金と半期の授業料は確保できた。
 つまり、入学が確定したということだ。
 9月からの半年間で、その次の半年間が継続できるか決まる。
 夕食後、入学手続きの書類を作成した。
 さらに、新鷹会が財団法人から一般法人化されるので、理事としての同意書も作成した。どちらも明日速達で投函しなければならない。

8月2日(火)「締め出しを食った風さんの巻」
 今日から介護休暇である。
 普通に起床し、東北大学付属図書館と大浦諏訪神社への郵便物も用意してから、先ず郵便局へ行った。4通無事に発送できた。
 今日も福島のケアセンターへ電話した。昨日今日と電話したのは、ヘルパーから母へ、今夜私が行くことを伝えてもらうためだった。
 介護休暇とはいえ、用意するものは多い。
 8月7日の出張のアポもとった。
 昼食後やっと出発。
 行きの東海道新幹線車中では、会社の仕事を続けた。
 東京駅で一橋大学の先生と落ち合って、約2時間打ち合わせをした。
 それから、東北新幹線に飛び乗った。
 乗ってすぐ動き出して、晩御飯をどうするか考えていなかったことに気が付いた。結局、郡山駅に着いて、構内の立ち食いそばで済ませた。
 駅前発の最終バスに乗車した。
 終点で降りて、母の家に着いて愕然とした。
 家が真っ暗なのである。ドアにはカギもかかっている。インターホンを鳴らしても、電話をかけても応答はない。
 私が来ることをすっかり忘れて、戸締りして寝てしまったのだ。
 仕方なく、兄貴の家に泊めてもらうことにした。

8月3日(水)「母は要介護「2」へ・・・の風さん」
 兄貴の家で目が覚めた(当たり前だ)。
 朝食後、母の家には行かず、バスで郡山駅前へ。
 駅でレンタカーを借り、いつものように日大工学部へ。
 今日で何回目だろう。だんだん常連らしくなってきた(何を言っている? 客員研究員ではないか!)。
 12月に、学内で講演をさせてもらうことになった。客員研究員としての仕事のようでもあるが、作家としての仕事の色合いが濃い。きちんと対応したい。
 客員研究員をさせてもらっている研究室は「サステナブル研」という。
 人類にとって重要なテーマである。私も作家兼技術者として貢献しなければここまで生きてきた(生かされてきた)意味がない。恩返しは義務である。
 今日は、勤務先のトップの講演(まさにサステナブルがテーマ)と、最近目にした拡張現実(ヴァーチャルリアリティの応用)の事例を紹介した。
 少しは研究室に貢献しているかも。
 学食で皆と昼食を摂った後(タンメンが美味かった!)、母が世話になっているケアセンターへ打ち合わせに行った。
 ケアマネジャーやヘルパーさんの感触では、この半年の間に、母の症状は少し進んだらしい。一人暮らしが困難になる日が着実に近づいているということだ。
 市の介護認定もこの春に要介護「1」から「2」へアップしていた。入浴しないとか爪を自分で切らないとか、いくつもの設問の回答が悪化していたからだ。
 帰宅したら、ワイフとまた老人ホームの探索に行かねばならないと思った。
 やっと母の家に行き、ヘルパーさんらの証言を自分で再確認した。
 とはいえ、夕方、母が眠っている隙に買い物に行き、母が美味しいと言った「ビビンバ」と「とんかつ」を買って来た。
 やっと母の笑顔が戻った。
 夜は自室で作家業、と思ったが、妙なことが起きた。
 異音である。外から聞こえてくる。何の音だろう? 車のアイドリングの音のような、機械音だ。
 窓から外を眺めてもそれらしい車はいない。
 次に怪しいのはエアコンの室外機の異音だった。お隣さんだろうか、それとも我が家?
 試しに、エアコンを止めてみる。
 ……静かになった。

8月4日(木)「母の実家でもダウン・・・の風さん」
 今回の介護休暇の最大の目的は、病院で認知症の薬をもらうこと。できれば母を連れて行き、主治医の診察も受けさせたい。
 幼児のような(しかもかなり性格が悪い)母なので、コントロールするのはかなり骨だ。こちらは全知全能を傾け、死力を尽くし、最後は運を天に任せて行動する。
 不要な物の片付けの相談をしているときに、我が家の古式ゆかしき思い出の扇風機が登場して、母が「捨てる」と言い出した。とんでもない話で、私はそれを使うことにしたのだが、部屋に移動させるとき腰を痛めてしまった。
 IH調理器で使いたいと母が言い出したフライパンを購入するのをエサに、午前中から連れ出すことに成功した。
 家にはフライパンが4つくらいあるが、鉄製のものが1つもなかった(マグネットがくっつかないことで確認済み)。
 病院は運良く空いていて、スムーズに診察と処方と会計を終えることができた。母が一緒だったので、主治医に情報を十分伝えることができなかったが、顔を見せることができたので「よし」としよう。
 買い物とレストランでの昼食を終えて帰宅した。
 母の状態はやや不安定で、すぐ変な妄想を話し出す。
 私は暑さの中、猫の部屋(元亡父の部屋)の始末にとりかかった。
 4つのトイレの砂の更新と掃除である。
 大汗を流しながら、消臭剤の詰め替えもした。
 それにしても仏壇の周辺も乱雑狼藉の限りを尽くしている。実行犯は猫かもしれないが、原因を作っているのは我々人間なので、死んだら地獄へ落ちるしかない。
 掃除をしている間に、花粉症を発症した。埃っぽい部屋だからだ。
 適当なタイミングで切り上げてシャワーを浴びた。
 ゆったりしたところで、昨夜の異音の話を落ち着いて母にした。
 ジャングルのように伸びた草が、エアコンの室外機のファンにからみついて、回ると音がする。無理にエアコンを使うと、室外機が壊れてしまうだろう。そう言ったのだ。
 信じられないことに、母に通じた!
 そして、草刈りに同意させることに成功したのだ。
 ヘルパーさん(母にとっては看護婦さん)が来たので、母をうまく誘導して外の草刈りを母からヘルパーさんに依頼させた。これはうまくいったというか、うれしい収穫だったが、単純な思考しかできない母の猜疑心をかき立てたらしい。
 「病院が草刈りまでやってくれるなんておかしい」
 また、おとなげない会話をしてしまった。
 夕食は、買ってきたフライパンを利用して、茶の間で焼肉をした。
 オリーブオイルが飛び散って、ちょっと失敗。
 食後、また母の食道楽論に腹を立てて口論してしまった。
 認知症以前に人生観に決定的な違いがあるのだ。
 結局、朝から何度も母に対して大声を出してしまったので、頭痛がひどくなり、腰痛と花粉症との合わせ技で、まいってしまった。
 私は、自室へ避難し、持ってきた薬を取り出した。頭痛のためにバファリン、腰痛のためにロキソニン、花粉症のためにアレグラ。一度に服用した。
 ほどなくしてダウンした。
 これじゃ、ふだんの生活(しばしば書斎でダウン)と同じだな。
 
8月5日(金)「介護を終えて・・・の風さん」
 奇跡的に午前零時過ぎに目が覚めた。ほとんど執念のなせるわざだろう。介護の仕事がほとんど終わったら作家業に本格的に戻らなければならないのだ。
 シャワーを浴びて気持ちをシャキッとさせて……とは言いつつ、頭痛、腰痛、花粉症から容易に普通の体に戻れるわけはない。しかし、飲んだ薬の副作用はおさまっているようだ。
 S社の原稿の見直しに取り掛かった。これがかなり重い。しかし、執筆に取り組める幸福感がひたひたと体に満ちてくる。
(いいぞ)
 と思ったのも束の間。
 午前2時半ころ、私の部屋のドアがギギッときしんだ音を立てた。
「お前。今頃何やってんだい?」
 母だった!
「仕事だよ、仕事!」
 つい声を荒げてしまい、自制心が必死にブレーキをかける。
「そう? ご苦労だねえ」
 本来の母に戻っている。
「ところで、夕べ、ご飯食べたっけ?」
 あらら……。
 未明に、途中まで見直した原稿を出版社へメール添付して送り、ベッドに横になった。
 2時間半の仮眠をとった。
 9時半までにレンタカーを返却しなければならなかった。
 ゴミ出しをし、洗濯をし、どさくさで母から通帳を預かって、8時半過ぎに実家を出発した。
 そうして、あれこれと仕事を終えて、お土産も買って、郡山駅の改札口を入ろうとして、事件は起きた。
 新幹線の切符を自宅に忘れてきたことに気付いたのである! 母より私の方がボケているのかも。
 タクシーで往復した。6050円かかった。とほほ……である(涙)。
 東京までの新幹線の車中で、未明まで取り組んだ原稿の後半の見直しをした。
 国会図書館へ直行し、前回途中までしか入手できなかった資料のコピーをゲットした。
 途中でS社の編集者と合流して打ち合わせもした。夏期休暇の宿題ができた。
 蒸し暑い中、地下鉄で3回乗り換えて、オキュルスへ行った。ここは東京の基地みたいなものだ。原画展で集まった義援金の送金先をやっと決めた。私は、あと2年間、アクセルを踏み込んで突っ走っていく、と宣言した。
 7時半ころの新幹線に乗って、ようやく家路についた。振り返れば、予想外に介護の仕事ができた。少し安心した私は、持参してきた文庫の残りを読了した。
 自宅に着いたのは午後10時ころである。
 長女が帰省していて、私が買ってきたお土産に感激していたが、良い機会なので、母(長女にとっては祖母)の認知症について、詳しく説明した。

8月6日(土)「頑張るしかない・・・の風さん」
 あと2年間フルスロットルで頑張ると決めたので、いくら疲労しているとはいえ、寝坊しているわけにはいかない。
 定例会議があるので、旧職場へ出社した。
 会議に出た後は、一橋大学関係の仕事に専念した。過去の資料を読解するのは骨が折れるが、昔さんざん経験してきた胸のすくような技術開発(つまり結果として非常に競争力のある製品が完成した仕事)なので、だんだん気分が高揚してくる。感動するのだ。
 その間に、福島県のケアセンターへ電話して、今日やることになった草刈りを、決して無理せず慎重にやってほしいとお願いした。失敗するにしても、母の機嫌をそこねると、もう二度と挑戦できなくなるからだ。
 研修所へ移動している余裕がなくなったので、そのまま仕事を続けた。
 退社して、ミッシェルを走らせていたら、ヘルパーさんから電話がかかった。
 なんと、草刈りが成功したという!
 夢のようである。
 それから、ミッシェルに給油し、トレーニングにも行った。
 とにかく頑張るしかない。

8月7日(日)「会社の品格・・・の風さん」
 休出でない日曜日の出勤である。道路が比較的空いているのはありがたいが、やはりまだ何となく違和感がある。老化による心身の硬直化が原因だろうが、へこたれずに突き進むしかない。
 午前中会議に出て言いたい放題発言してしまった。これも老耄のなせるわざか。「ならぬ堪忍、するが堪忍」とは言え、介護休暇後は、ある程度これからの生き方について腹を決めたので、会社でも力を入れて仕事をしている。
 今日は定時後に某社の専務を訪問する予定が入っていた。かなり目上の人を訪ねるので、それなりに緊張もするが、VIPとの面会は楽しみである。
 名大の益川先生の恩師の本の自費出版に協力させていただく関係で、振り込みをしなければならず、郵便局に寄ろうと早めに研修所を出発したが、自動機は既に稼動を終了していた。日曜日なのである。
 ガックリしながらミッシェルを走らせていたら、ケータイが鳴った。
 今夜訪ねる専務の秘書から、研修所へ電話があり、専務の到着が30分程度遅くなるという伝言だった。ビジネスの常識とはいえ、こういった連絡は実にありがたい。この余裕をコンビニでゼロコーラを飲んで使った。
 今夜は帰りも遅くなることが予想されたので、某社へはミッシェルで社内まで入らせてもらうことにした。すると、門のところで守衛から「専務の到着が遅くなりますが、お待ちいただけますか」といった丁寧な申し出があった。おそらく秘書から連絡がいったのだろうが、こういった気配りは、もはや仕事をこえた会社の品格、人間の品格であり、後世へと伝えなければならない。
 私は待ち時間は平気で、それを利用して、某社に出向している元部下と会ってひと仕事した。また、元部下も、せっかくだからと構内にある豊田佐吉の胸像などを見せてくれた。そう。ここはトヨタ発祥の地なのである。
 専務には15分か長くても30分以内のご挨拶で失礼するつもりだったが、専務が貴重なお話をしてくださり、1時間以上になってしまった。実は、この私の用事の後、専務は、私の元部下らとあと2件の会議が控えていたのだ。
 申し訳ない気分を引きずりながら、午後9時前に某社からミッシェルで家路についた。

8月8日(月)「酷暑にも負けず・・・の風さん」
 昨夜の専務訪問は、今日の、一橋大学の先生方の某社訪問と密接な関係があった。
 研修所へ出社した私は、バタバタと雑務を片付けて、ミッシェルで出発した。
 途中で郵便局で振り込みをやっとすませ、本社の駐車場にミッシェルを置いた。
 今日も酷暑が予想される蒸し暑さだった。
 もよりの駅で一橋大学の伊藤先生と落ち合い、喫茶店で2時間、事前打ち合わせをした。
 午後1時に後発の先生方と合流し、徒歩で某社へ向かった。もう汗だくだくだ。
 某社での現場見学を兼ねた打ち合わせは、予定を1時間もオーバーして3時間になってしまったが、有意義なものだった。
 しかし現場見学は、灼熱の地獄の中を歩いているような感じだった。
 駅まで送ってもらった後、また伊藤先生と喫茶店で2時間打ち合わせをした。
 年末までに貴重なケーススタディを執筆してもらわなければならないので、私は誠心誠意協力している。
 こうして、連日のように帰宅が遅くなり、夕食後は一気に疲労が出てぶっ倒れるという生活を続けているが、トレーニングも続けているので、少しずつだが手応えを感じている。
 
8月9日(火)「たまには会議も運営するぜ・・・の風さん」
 研修所へ直行し、高密度な1日を過ごした。久しぶりに昼休みに英単語の勉強もした。
 今日は戸締り当番にもかかわらず、定時後に会議を設定してあったので、当番の仕事である電力計のチェックを早めに済ませた。これは節電のヒントを得るためのデータ取りである。たとえ、研修所の業務負荷や施設の稼動状況と電力使用量に相関がないか調べるのである。
 定時後の会議は、私の期待以上に盛り上がった。こういった議論がしばらくなされていなかったので、欲求不満だった同僚が多かったのだ。
 かつて私がマネジメントしていた職場では、できるだけ部下には言いたいことを言わせたし、厳しいことを言う部下ほど耳を傾けるに値する考えを持っていた。上司は包容力が必要で、部下をほったらかしにすることは包容力とは言わない。
 こういった会議は月に1回ぐらいの割で継続してみようと思う。
 このところ早寝にも取り組んでいる。
 帰宅が遅くなったので余裕はなかったが、同僚から借りていた資料をpdf化した。膨大な量があって、1時間以上かかった。

8月10日(水)「しっかりトレーニングも継続・・・の風さん」
 連休前の最終勤務日である。チャンスなので、会社にいる間にミッシェルの法定点検(とグローブボックスの修理)をやってもらおうと思ったら、カリチュー(もう30年以上、クルマの購入や点検、修理をやってもらっているところ)は休みだという。これまで木曜日が定休日だったが、自動車業界が木金休みになったので、水曜日を定休日に変更したのだという。
 拍子抜けした。法定点検は、連休明けにしよう。
 日本経営工学会論文賞の賞状とクリスタルの記念品を研修所で飾ってもらっていたが、良いタイミングなので、引き取ることにした。
 帰りに、駅に寄って、20−21日におこなわれる全国和算研究(富山)大会の特急券を購入した。うまい具合に指定がとれた。
 しかし、もともと20−21日は土日で会社は休みのはずだった。それが輪番休日で木金休みになってしまったため、有休をとらないと参加できなくなったのだ。
 シーズンでもあり、特急の座席指定券も少し不安があったが、問題なかった。
 いったん帰宅し、スポーツウェアに着替えて、トレーニングに行った。
 今や私にとって体力作りは最重要課題である。
 とは言え、疲れた。

8月11日(木)「コクリコ坂・・・の風さん」
 ここのところずっと突っ走ってきたので、疲労がたまっていた。
 それでも寝坊せずに起床して、午前中はS社の原稿のための資料読みをしたが、昼食後ダウンしてしまった。
 連休になっていきなりこれではまずい。ゴロゴロしている亭主など、ワイフから見れば粗大ゴミに等しい。
 そのワイフも、しばらくトールペインティングがお休みである。
 おまけに次女が今日から高校のラグビー部のOB会で熱海へ2泊の旅行に出かけた。
 家庭サービスしない夫など、ワイフから見れば生きる価値も認めてもらえない。
 夕方やっと目がさめた私は、必死の思いで、「映画でも観に行く?」とワイフに精一杯の見栄を張った。
 これが恐るべき偶然で的中した。観たい映画があったのだ。
 「コクリコ坂」を観た。
 私は予備知識もなくそれほど期待もしていなかったのだが、まずまずの出来で気持ちよかった。しかしアニメなので、それを期待して観に来る若者には高尚過ぎてわからない恐れがある。1963年は、その時代を生きていた人がたくさんいるのだ(私を含めて)。だから、映像の中でくどくどと説明は入らない。でも、わかる。私たちは。
 帰りにUFOキャッチャーで何とか景品をとって帰宅した。

8月12日(金)「幸福の条件・・・の風さん」
 1日おいて、今日もトレーニングに行った。この時期のトレーニングは猛烈に汗が出る。体力作りと同時にシェイプアップもできる、最高の時期だ。
 夕食後、地デジ対応テレビに接続した旧型ビデオデッキでDVDを観ようとしたが、なぜか再生できなかった。VHSをセットしてみたら、これはできた。
 そのままロバート・レッドフォードの「幸福の条件」を久しぶりに観た。これまで何度も観た映画なのに、デミー・ムーアのバストがしっかり露出していることに初めて気が付いた。やはり私の目は節穴なのかもしれない。
 それにしてもド貧乏のときに大富豪の映画を観るのはこたえる。
 
8月13日(土)「ようやくお盆休みも本格化・・・の風さん」
 朝食のとき、冷蔵庫の中のヨーグルトに手を伸ばした。賞味期限が切れたので、やっと食べる権利が得られたのだ。
 夏期休暇に入って、資料読みを本格化させた。今回はスピードを最優先させるため、調べながら書くのではなく、先に読んでおいて、その記憶だけでできるだけ原稿を書く。そして、ある程度できてから、見直す形で資料にあたる。
 だが、遅筆の私は遅読でもある(笑)。
 夕方、日中の暑さがだいぶやわらいだ頃、ワイフと一緒に近所のお寺に霊のお迎えに行った。もしかするとご先祖様もたくさん来ていたかもしれないが、亡父のことしか頭にないので、例年のように「いつもうちにいると思うけど、とりあえずお迎えにきました」と手を合わせた。
 夕食後はたまった名刺の整理をした。
 次女も旅行から帰ってきた。
 就寝前に英単語の暗記もした(老化防止でもある)。
 ま、平和ないち日だったということだ。

8月14日(日)「グッピー来る・・・の風さん」
 資料読みの残りを頑張った。
 夕方からトレーニングに行った。トレーニングは当面の最重要課題だが、今日は疲労感が強烈だった。生活で無理しているための疲労ではなく、肉体をいじめた(鍛えた)結果の疲労もありそうだ。少し休養が必要かもしれない。
 夕食後、気まぐれ日記の更新をした。
 友達の家に泊まると言っていた次女が、遅くなって帰宅した。いくら何でも急に他人の家に泊めてもらうのは非常識である。ワイフが迎えに行ってきた(つまり近所なのである)。
 その次女がUFOキャッチャーでゲットしたビックリ景品を持ってきた。
 なんと「ミドリフグ」。生き物まで景品にするとはけしからん!
 とはいえ、わずか2、3センチなのに、フグの形をしている。くりくりした目玉が可愛い。ヒレを激しく震わせて泳ぐ姿もけなげだ。
 エサの小エビを半分与えると、パクリと食べた。意外と獰猛そうだ。
 次女が名前をつけてくれと言うので、姿形や仕草のイメージから「グッピー」と名付けた。

8月15日(月)「グッピーの飼育環境作り・・・の風さん」
 朝食後、インターネットでミドリフグの飼い方を調べた。
 執筆に取り組むように入念に調べた結果、とんでもなく飼い方が大変なことが判明した。
 一番大切なのは、飼育するための環境作りつまり水作りだ。汽水といって、淡水と海水の中間の水がベースだ。これは、人口海水とカルキ抜きで作れる。問題は、生物によるろ過システムを構築することで、バクテリアを育てなければならない。きちんと環境を整えるのに1週間はかかるらしい。
 それまで小さなケースに入っているグッピーを生き延びさせることは至難の業らしい。部分換水でつないでいくのだ。
 うまく新環境に移動できたとして、このミドリフグ、なんと熱帯魚なのだ。冬はヒーターが必要である。ま、そこまでたどり着けたら立派なもんだ。とにかく、生命にはまじめに真剣に対峙するのが私のモットーなので、想定外の挑戦が始まった(長年の経験で、こういったことは他人には任せられない)。
 我が家には、水槽と通常の浄化システムはあった。
 足りないものをリストアップしておき、午前中執筆をして、午後買いに出かけた。
 夕方、ワイフと霊の送りにお寺に出かけた。今回も私は自然体である。
 帰宅してからミドリフグの飼育環境作りが始まった。濃度が1.006ぐらいの薄い汽水を作った。バクテリア繁殖用の珊瑚石は入手できなかったので人工物を用意した。水槽に汽水と一緒に入れて、浄化システムを稼動させた。理想は、これから1週間ぶっ続けで水を回すのだ。
 夕食後は執筆以外のことをやるようにしているが、今夜は、新たな企画提案の用意をした。先の仕掛けもしておかないといけない。
 深夜のグッピーを見ると、元気がない。昨日食べたエサも見向きもしない。クリルも赤虫にも興味を示さないのだ。ケースの中の毒素濃度が高まっていることが予想されたので、作成を開始した汽水で部分換水をした。
 就寝前に、あわてて英単語の暗記もした。昨日までの部分をほとんど忘れているのはいつものことだ。

8月16日(火)「ご先祖様のお付きのグッピー・・・の風さん」
 心配してたグッピーは今朝も元気がない。食欲がないだけでなく、じっと動かない状態が続く。部分換水も試みた。飼育環境が整うまでもつだろうか。
 昨夜用意した新たな企画提案を投函するついでに、弱っているグッピーでも食べられないかと小型熱帯魚用のエサも買ってきた。
 午前中に執筆の続きをやったが、グッピーが心配でならなかった。
 ワイフは「もう死んじゃったよ」と冷たいことを言う。
 最後の最後まで諦めずにベストを尽くすのが私の信条なので、動き出したら、買ってきたエサを与えるつもりだった。
 昼食後もグッピーはじっとしていた。
 実はここのところ毎日花粉症が出ている私は強い薬を服用していた。今日もそれが効いてきて、午後ぐったりしてしまった。私までグッピーのようになってしまった。
 夕方やっと起き出して、すぐグッピーの様子を見たら……。
 グッピーはケースの底でじっと動かないままだった。
 ケースを揺すっても動かない。
 丸い体が少し傾いた。
 目は大きく見開いたままだが、動かない。
 グッピーは逝ってしまった。
 平成23年のお盆に、霊と一緒にやってきて、霊と一緒に帰っていったようなものだった。
 ご先祖様のお付きだったのかもしれない。
 今日はトレーニングに行くのをやめた。

8月17日(水)「我が家の保護動物・・・の風さん」
 ここにマイホームを建てて暮らすようになって、もう20年以上になる。
 来てすぐ道端で拾ったクワガタを大事に飼ってみたら、3年も長生きした。その後、それだけ長生きしたクワガタはいなかったが、最後のクワガタも2年ぐらい生き延びたような気がする。
 今朝、昨日死んだグッピーと一緒に、3年くらい前に死んだクワガタも埋葬することにした。
 クワガタは飼育ケースの中で、生前のままの形で(まるで標本のように)ひっくり返っていた。
 庭の木の下に、それぞれ別の穴を掘って埋めた。合掌。
 新聞を取りに玄関を出たら、クモの巣にひっかかった。胸のあたりに黄色と灰色のやせたクモがへばりついたが、払い落とした。玄関先でクモの巣にひっかかることはよくあるが、クモは我が家の保護動物なので、殺したりはしない。
 ふと庭木を見たら、灰色に変化した蛙のぴょん吉が、椿の葉っぱにのっていた。川も池も沼もないところに、毎年蛙が出没するので不思議に思う。今年は同時に2匹見た。ぴょん吉1号と2号である。
 今日もトレーニングに行った。1時間半みっちりと鍛えた。
 夕食後、サンルームでイモリが発見された。ちっちゃな子供のイモリだ。
 つかまえて逃がそうとしたが、隅っこに逃げてしまった。
 蛙もイモリも害虫を食べてくれるので、我が家の保護動物だ。
 人間よりも保護動物がたくさん住んでいるのがマイホーム……なわけないか。

8月18日(木)「着々と進行・・・の風さん」
 日中は基本的に執筆にあてている。連休中は書き入れ時だ。
 毎日たまっていた雑多な用事を片付けてきたので、かなり減ってきた。
 しかし、書斎の大幅模様替えには、こういった作業を少なくともあと1週間は継続しなければならないだろう。
 それでも今夜は、床に散らばっている書類を少し整理することができた。
 英単語の暗記も根気よく続けているが、昨夜はさすがにトレーニング疲れで忘れてしまった。
 それで今日は、朝食後と就寝前の2度やることにした。
 1日に6ページずつ、それぞれのページにある単語は通算3日暗記するわけだが、3回目のはずでも、初めて見るような気がするのはやはりボケのせいだろう。
 それでも、近い将来の短期留学の夢のために、今はこつこつと努力できる。
 風さんのモチベーションは基本的に「夢」。ロマンチストなのである。
 ロマンがなければ生きていられない。
 
8月19日(金)「+10人の疑惑・・・の風さん」
 なでしこジャパンの国民栄誉賞受賞の記事が新聞に出ていた。
 気に入らないのが記念写真だ。
 監督と選手ら25人が首相官邸を訪れたと書いてあったが、記念写真には36人が写っている。
 首相を含めて26人が最小人数のはずだ。あと10人は誰だ?
 今回初の団体受賞である。
 これまで通り個人の受賞だったらどうか。
 たった一人で首相官邸を訪れて、首相と記念写真を撮ったら、2人以外に10人写っていることになる。
 タレントと一緒に記念写真を撮るのとわけが違うと思う。
 首相ですら、優勝を争う場面まで、なでしこジャパンに対する激励のコメントはなかった。
 これは首相として失格である。偶然東電の選手もいたが、たとえいなくても、こういう祖国が大変なときに、海外でスポーツで戦う選手は、心の隅っこに「こんなことしていていいのだろうか」という迷いがある。それを、激励してあげるのが上に立つ者の義務である。優勝したから「国民に元気を与えてくれて、ありがとう」ではなく、一戦一戦を必死に戦っている姿に対して「ありがとう。勇気付けられます」と言わねばならない。メダルがとれなかったとしても、首相官邸に呼んで「ありがとう」と伝えるべきことだ。
 その他10人に話を戻そう。
 全員が問題かどうかは分からないが、なでしこジャパンの活動を心から支援していた人なら、遠慮がちに端っこに加えてもらったりしてもいいだろう。しかし、10人全員が首相以上のことをしたとは、とうてい思えない。
 大臣だから一緒に写ってもいいだろう、と思ったら大間違いだ。
 私は会社でこういう場面があったとき、何をおいても、部下と部下を支えてくれた人や協力者を評価する。蔭で目立たなかった人を探してでも評価する。それが上に立つ者の役目だと思っていた。
 
8月20日(土)「会社人生の記憶がよみがえる・・・の風さん」
 今日、明日と有休である。もともと年間カレンダーでは、土日なので休日だった。それが、節電協力のための輪番休日制度導入のために、木金休みとなり、さらに夏期連休がずれ込んでしまい、今日、明日と勤務日になってしまった。それで、全国和算研究(富山)大会に参加するためには、有休が必要になってしまったのだ。
 とは言え、旅費の問題もあって、参加の覚悟を決めたのはギリギリで、旅行手段も慎重に比較検討している余裕がなかった。ネット検索で出てきたとおりの手段を選択してしまった。
 集合場所は富山県のJR高岡駅前だった。名古屋から米原まで新幹線で行き、米原から高岡までは特急しらさぎ号で行くことにした(これがコストミニマムでないことは後で分かった)。
 米原から北陸本線を北上していると、停車する駅ごとに思い出がよみがえった。30年をこえる会社生活の思い出である。その都度ベストを尽くす主義の私は、出張は旅行ではないから、目的地に文化的、歴史的な意味があっても、仕事を終えたらとんぼ返りだった。
 長浜駅では、M樹脂との品質向上、市場開拓の苦闘がよみがえった。
 鯖江駅では、エアバッグ用の布を求めて、織物会社を見学したことがなつかしい。アパレル産業である。
 今回は高岡駅で下車したが、その先に富山駅がある。ここに電子部品関連のH電工があり、工程監査と改善指導に行ったことが昨日のように思い出される。
 点でしかなかった記憶が、JRの同じ路線上に連なっていたのである。
 今宵の宿は、雨晴(あまばらし)海岸を見渡せる高台にあり、全員集まってみると、なんと55人もいて、過去最大規模の和算研究大会だった。交通的には不便な場所だが、年々和算研究が盛んになってきているのかもしれない。
 
8月21日(日)「和算研究大会2日目・・・の風さん」
 宿泊場所には温泉があるので、こういう場合、1泊している間に3回入浴することにしている。懇親会(夕食)前、就寝前と翌朝である。全国和算研究大会の場合は、名立たる数学者の方と一緒に湯船につかることができるので、恐れ多いが、楽しみである(裸になってしまえば経歴も肩書きも気にしなくてよくなるから)。
 ここの泉質はナトリウム泉だった。舐めてみたらしょっぱい。石鹸をつかって体を洗わなくても、肌がきゅっきゅっとなってくる。これは気持ちいい。
 執筆で追いまくられている私は、昨夜遅く、深川英俊先生と一緒に廊下にパソコンを持ち出して(そこに椅子とテーブルがあったから)、仕事を始めた。しかし、気が合うというのだろう、すぐ雑談になってしまい、ちっともはかどらないうちに再び部屋に戻って寝た。
 目覚めて窓の外を眺めると、雨雲の下に重そうな富山湾が見えた。立山連峰は残念ながら見えない。昨日は何とか曇りで済んだが、今日は雨模様だ。
 予定通り、朝風呂に入って、朝食のバイキングを海を眺めながら楽しんだ。
 午前中に、2つの研究発表を聴講し、新湊博物館で石黒信由に関係する貴重な資料をたっぷり見学し、放生津八幡宮の算額を見学し、全国に2ヶ所しかないという川の駅(道の駅ではない)に寄って、懐かしさを感じる運河の風景を眺め、石黒信由の生家や墓地にも立ち寄った。
 昼食のお弁当を食べた後、仲間と別れてひと足早く高岡駅へ向かったが、予定より早い特急に乗車することができないまま時間をつぶしていたら、午後も算額を見学した仲間が高岡駅にやってきた。こんなことなら私も見学したかった。
 午後2時過ぎのしらさぎ号に乗車したが、ハードスケジュールだったせいか、疲労がどっと襲ってきた。直後のサンダーバード号に乗車した愛媛和算研究会の浅山会長グループは、帰宅は午後10時ころだという。私は午後7時過ぎだ。
 その午後7時過ぎに無事帰宅できたが、疲労はまだべったりと体に張り付いたままだった。
 昨年から続いていた過密スケジュールは、今回の富山行きで、しばらく人並みになりそうだ。
 就寝前に英単語の暗記には挑戦した。

8月22日(月)「大切にしたい会社・・・の風さん」
 7時前に起床し、有料道路を突っ走ってT製作所へ向かった。
 定例の会議後、一般道を走っていったん帰宅し、それから電車で出張に出発した。昨日、新幹線から岐阜羽島駅と名鉄の新羽島駅が隣接していることを発見したので、名鉄で新羽島へ向かうことにした(新幹線は高い)。
 最寄の駅から片道約2時間かかる。昼食は、電車内でおにぎりを食べて済ませた。
 出張目的は、岐阜県にある未来工業株式会社見学である。
 この会社はとにかく従業員を大事にすることで「やる気」を起こさせる。そのためには、成果主義はとらないし、年功序列で定年は70歳(60歳以降は給与はほぼ一定となる)、報連相(報告・連絡・相談)を強要しない、5年に1度会社持ちで全従業員(正社員しかいない)が海外旅行に出かける(企画は社員が練る)、年間休日は約140日もある……。これだけ至れり尽くせりの会社なら、従業員も会社の足を引っ張るようなことはしないだろう。
 常識外れのびっくり仰天会社だが、私の理想とするES(従業員満足度100%)をモットーにしている。そういう会社が現実に存在し、しかも業績を上げている(世の中に貢献している)ことは、とても素晴らしいし、勇気づけられる。
 第1回「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」を受賞したのも納得できる。
 同じコースで家路につき、帰宅は午後7時半になった。往復の車中で読みかけの文庫を読了した。
 
8月23日(火)「背中を激痛が走る・・・の風さん」
 昨夜も英単語の暗記に挑戦してから就寝したが、だんだん難しい単語ばかりになってきて、覚えるのに時間がかかる(忘れるのは一瞬だが)。
 寝坊せずに起床し、有料道路を突っ走って研修所に出社した。
 同僚は3日前から出社しているが、私は昨日まで休暇だったに等しい。たまっている仕事を次々に片付けていったが、会議もあり、なかなかはかどらなかった。
 それでも出張報告だけは書き上げて、周囲へも展開した。今回の情報はさまざまな意味を持っている。
 帰りに体育館に寄って5日ぶりにトレーニングをした。富山で食べ過ぎてオーバーウェイト気味だったので、真剣に取り組んだ。
 しかし、無理があったのだろうか、背筋を痛めてしまった。負荷をかけすぎて痙攣を起こしたようだ。初めて体験する激痛が背中を走った。
 へろへろになって帰宅。
 シャワーを浴びて、夕食を摂って、ますますふらふらになったが、執念で執筆もした。
 就寝前に数ページの読書もしたが、もう限界だった。
 
8月24日(水)「人生の秋・・・の風さん」
 どうもここ数日涼しい日が続くと思ったら、昨日は二十四節気でいう「処暑」だった。二十四節気は太陽の黄経で決まるもので、迷信や占いではない。季節感と密接に関係している。暑さがおさまってくる「処暑」は、「立秋」と「白露」の間で、明らかに秋に足を踏み込んでいるのである。
 私は昔から四季の中で秋が最も好きだった。気候的に体に最も穏やかというか負担が少ないせいだろう。何とも爺臭い話である。
 現在は、春から夏にかけてが好きだ。夏至を過ぎて「小暑」「大暑」となっても、寒さで体が硬直する季節よりいい。これも何とも爺臭い話である。
 出勤時、ミッシェルの右ウィンカーに異常が起きた。点滅速度が倍加したのだ。全部で3個のランプが同期して点灯するのだが、恐らく1個のランプが切れたのだ。ランプ切れを教えるために点滅速度が速くなるように設計されているのだが、なかなか賢い工夫である。
 連休明けにミッシェルを点検に出すので、そのとき一緒に交換してもらおう。
 帰りに、ガソリンスタンドに寄って、自動洗車した。点検に出すのに、あまりにも汚れていて恥ずかしい。
 今夜、千鶴伽さんの東京ライブがある。東京にいたら聴きに行きたいができないので、花キューピットでフラワーアレンジメントを送った。うまく利用してもらえるといいが……。

8月25日(木)「花粉症・・・の風さん」
 久しぶりに8時間睡眠をとった。この週末(輪番休日になってからは木金が週末)には、ある原稿を書き上げなければならない。
 やるぞ、と気合とともに起床したのだが、すぐに花粉症に襲われた。時間とともにひどくなった。弱い薬を飲んだり、花粉症に効果があるといわれるヨーグルトを食べてみたりしたが、だめ。
 結局、終日花粉症との戦いだった。
 もちろん原稿はできない。

8月26日(金)「やっと原稿が完成・・・の風さん」
 昨夜も8時間の睡眠を確保した。今日こそ原稿を仕上げねば。そのためには、花粉症と対決せず、やり過ごさねばならない。
 朝から体に刺激を与えないように、心がけた。
 千鶴伽さんからお礼のメールがきたので、元気を出して頑張った。
 それでも、原稿が出来たのは午前零時過ぎだった。
 メール添付で出版社へ送って、ようやくホッとした私は、それから英単語の暗記に挑戦である。
 ほぼ毎日頑張っているので、自分の記憶力がどれくらいかだんだん分かってきた。毎日2ページずつ進め、同じ単語を3日かけて覚えようとしているのだが、どうやら無理なペースらしい。
 もし毎日1ページに落としたとしたら、目標単語数を終了するのに2倍の日にちがかかってしまう。
 もし繰り返しを3日でなく6日にしたら、1日あたりにかける時間がほぼ2倍になってしまうだろう。
 どのあたりに最適なペースがあるのか、もっとよく考えねば。
 ま、いずれにせよ就寝が午前2時ころになってしまった。

8月27日(土)「がんばれ、ミッシェル!・・・の風さん」
 寝不足である。頭が痛い。いつもこうだ。でも、今日は頭痛薬を飲まずに頑張ってみよう。
 旧職場に出社し、ラジオ体操、神棚参拝から始まった。
 定例会議に出た後、職場の先輩と病気の情報交換。病気に関しては、私の方がいくらか先輩だったので、自分の体験を正直に語った。手術を覚悟している先輩の早期回復を祈るしかない。
 昼食後研修所へ向けて移動したが、途中でミッシェルを点検と修理に出した。
 研修所でもあいかわらず頭痛が続いた。
 帰りに点検と修理の終わったミッシェルを受け取ったが、エンジンの油漏れや、足回り部品の亀裂、タイヤの磨耗、シフトレバーのガタなどいくつか危険信号が出ていることを教えられた。
 現在の走行距離は167000kmである。あと3年で20万km走破を達成したいが、ちょっと難しいかもしれない。
 がんばれ、ミッシェル!

8月28日(日)「ひたすら健康維持に注力・・・の風さん」
 日曜日の出勤なので道路が空いていた。町中へ入って信号待ちになると、ハンドグリッパーを握って筋力アップ。
 研修所ではデスクワークが多いので、午前と午後の2回、4階まで足で往復した。エコノミークラス症候群対策。
 帰宅時も、信号待ちでハンドグリッパー。
 予定通り体育館に寄ってトレーニングした。富山で増えた体重は落ちたらしい(笑)。
 健康な身体で、夕食後、遅れていた企画作成に着手。
 午前零時で就寝。

8月29日(月)「いきなりペースダウン・・・の風さん」
 昨日の健康第一・品行方正・質実剛健の後遺症だろうか。ふだん通りに早起きして、ミッシェルで出勤したわけだが、有料道路を降りて町中へ入ったあたりから、少し頭がボーッとする感覚があった。疲労に違いない。
 過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し。
 今日は少しペースを落とした。
 とはいえ、雑務は平日に片付けるに限る。帰宅時、1時間半かけてあちこち回って用事を済ませた。
 夕食後は、昨日に続いて企画作成。

8月30日(火)「早くも定年後の検討・・・の風さん」
 研修所で予定外の仕事が飛び込んできたため、終日それに専念した。
 そのため、深刻な検討作業が、先送りとなった。深刻な、とは大げさな表現だが、定年後のことに関係するのだ。
 定年後のことを決めるため、その第一ステップとして上司と話し合いをしなければならない。今日はその準備作業に着手する予定だった。しかし、できなくなった。
 そもそも私のこれまでの人生は、必ずしも思い通りに行ってない。このままでは、不完全燃焼で一生が終わってしまう。だから、上司との話し合いは重要なのである。
 結局、午後8時まで仕事をして、やっと退社した。
 今夜で完成させるはずの企画書が、時間不足でできなかった。

8月31日(水)「今月8回目のトレーニング・・・の風さん」
 最近早寝を励行しているので、朝は早くから目が覚める。しかし、起きるのはアラームが鳴ってから、と決めていた。
 ところが、そのアラームを昨夜セットし忘れたため、事実上の寝坊をしてしまった!
 久々ののんきな風さんとなった(笑)。
 研修所での予定外の仕事が、やっと一段落した。
 続けて、たまっていた仕事をいくつか処理して、いつもの時間に退社。町の体育館へ直行した。
 7月以来「継続は力」を旗印にコンスタントに続けてきたので、だいぶ身体が動くようになった。
 負荷は落としたままなので、以前の負荷に戻れば大満足だが、まだ当分かかるだろう。
 これでトレーニングは、7月が6回で8月は8回となった。間に2日あけて続けるのが理想だから、月に10回近くやりたいところだ。7月、8月と長崎や福島、富山へ出かけたから、まあ上出来だったとしよう。
 晩御飯に「アサリのワイン蒸し」が出た。今年はなぜかほとんど食べていなかった。うれしくて余った料理ワインをねだったため、トレーニングの疲労とあいまって、夜は仕事にならなかった。
 
2011年9月はここ

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